京都にある弁当箱の博物館で?陣中弁当箱のヘビーな事実を知る!
今では当たり前のように弁当箱を持って学校や会社に行くといった人は多いですが昔でも弁当箱というものは存在し、戦場に持っていっていました。そんな弁当箱で京都にある弁当箱の博物館で衝撃的な事実を知ってしまったようでその内容がこちらです。
弁当箱
博物館への反応
吉川「これから"弁当"の時間なんで」
石田「それは、これから敵の大将を討ち取りに行ってその首を弁当箱に入れる、という意味で?」
昨年のNHK明智光秀ドラマでは信長がこの手の容器を使っていました。
いやー戦国時代激しいです。(ヽ´ω`)
首入れるのと食糧入れるのに両方使ってたなんて激しすぎる2WAYです。
余談ですが、平泉の中尊寺金色堂には奥州藤原氏四代泰衡の首桶が展示されています。
滲みや汚れがあり、迫力に目を奪われる品です。
はじめまして、貴重な資料拝見しました。絵が浮かびました。
食料以外は運んでなくとも首を運んでないとは限らない、と
乱太郎で似たようなエピソード読んだ事がある。入れる時にも髪を結ったりお歯黒を塗ったりと一定の作法が求められたとか
関係無いけど「ドクロ杯」が頭に浮かんでしまった、、、
敵将のガイコツの頭部でお酒飲んだり、って話も聞きます。よく世界各地で言われている、勇者の肉を食べることによってその力を自身のものにするって言い伝えに繋がるものなのかな、と思ったりしました。
量産品だから、外箱と中の仕切りは常にセットで扱われるとは限らない気がします。
要は、首保管に使われた外箱は再利用されるかどうか。
外箱の内側に漆がキレイに塗ってあれば、、、
「時代劇」でもこんな形の容器が登場して
首実検するシーンとかありますよね
『首桶』という言葉はキャプションには載せられない……んですね。
弁当箱 どうせ帰りは 空だもの
左下が隠れてるが
まさか、「多分。。。」
とか書かれてないよな。
「俺の首、死んだら使用済み弁当箱に入れられるのか……」って想像して、頑張った大将もいたかもしれませんね。
昔の日本では陣中弁当箱と言って今と同じように弁当箱が存在したようですがその用途は今とはちょっと異なるものとなっているようです。
食料などを入れるのは今と変わらないようですが敵の大将の首を入れて持ち帰るといった今では考えられないような使われ方がしていたようですね!
昔の日本ならではの用途ではありますが当時はそれが当たり前のものとして使われていたのでしょうね。
今と昔では弁当箱の役割にも違いがあることが分かりましたね!