千年前の関東平野を見ると、人が住める場所じゃないことがわかる
投稿は千年前の関東平野の地図ですが、大昔は平野というよりも川だらけで、これでは人が住める環境ではないことがわかります。しかし今から400年ぐらい前の江戸時代、徳川家康が利根川などの河川の改修を行い、平野に人が増えていったのです。
関東平野
ダムへの反応
そりゃ、鎌倉に幕府開くわ😅
昔はどこにでもツルやトキがいたというのも納得。
1000年前だから平安海進期ですかね
戦国まで5、600年で立地が変化し
築城技術 水攻め出来る灌漑技術を人々が身につけて
沼地どうにかしたら何とかなる場所に変わったんだなぁ(´ω`)
京都御所も最初は住めた場所じゃなかったし人は偉大だね。
佐原周辺については6月にブラタモリで
「“ちばらき”~“ちばらき”はニッポンの要!?~」
にてやっていましたね。
エジプトのナイル川は氾濫するが肥沃な大地を連れてくるって聞いたことあるよな。
そもそも平野というのが洪水によって土砂(堆積物)が広く運ばれて溜まる事によって形成される地形ですね。
平野部の人達は「我々は洪水の履歴の上で暮らしている」という意識を持って防災対策を考える事が大事だと思います。
千年前って海進期でしたっけ?
縄文海進はもっと凄かったような
日本最古の歴史書古事記にはスサノオが
ヤマタノオロチを退治したと暗喩した通り、
太古の時代から我々は川の氾濫と共に
生きてきました、これからもです。
平野ってのは、日頃は河川もゆるく流れていてのどかだが、いざ大雨が降ればそこかしこが川になる。
改めて見て、住める地面ないよね。
近年有名になった忍城の戦いを見ればおのずと理解できるものですね。
江戸時代より前は上総(南房総)の方が下総(千葉県北部)より行きやすかったんでしょ?
湿地帯を越えるのは非常に難しく、東京湾を渡る方が楽だったと。
利根川東遷事業の前の地図ですね。
これをみると本当に大事業でしたね。
ちなみに尾張の国は御囲堤で守られていましたね。
江戸時代干拓しなかったら茨城県って滋賀県並みに
潮湖がマークになってしまう
21世紀の現代、治水はもう必要ないと思っていたところに、大雨による河川の氾濫は毎年のように起こっています。
大昔の地図を見てわかるように、日本は川が土地のあちらこちらに乱入していました。そこに人が住むようになって治水し、氾濫すればまた治水の繰り返しそれは今も変わりません。
昨今はダムの建設や公共事業がムダと言われたりしていましたが、先日の台風や昨日の千葉県での大雨にでもあるよう、治水はまだまだ必要だと思います。