難解すぎる!?児童書に載っている寺山修司の詩をどう説明すれば良いのか??
時に児童書とはよく出来たもので、大人になってから見直すと考えさせられるものや真の意味に気付いて驚くものが載っていたりします。今回ツイート主さんが見つけた寺山修司さんの詩が難解すぎて、子供にどう言う意味か問われた時にどう答えれば良いかわからないほどです。
寺山修司
児童書への反応
普段、人間は自分の意思があると思って生きている。実際は刺激が先にあって、初めて自分の意思が発生していることがほとんどだ。
だが、中年はそうではないようだ。それは訳もなく悲しく、その実あまりに平凡で、何も起こらない更なる悲しみなのだ。平坦な戦場で人知れず生き延びる事。
と読みました。
最初から順に読んでいくと起きる事象とその結果の順番があべこべという話だから、最後の悲しんでいるのに悲しみがやってこないというのはまだ起きてもいないことでクヨクヨしてる状況なのかなと思った。漠然とした不安が不要な不幸を引き寄せるようなことはあるのかもしれない。アドラー心理学みたい。
めちゃくちゃ個人的にポジティブすぎるかと思いますが…
幸せや、やりたい事は、
何かをしてるうちに
見つけたり、出来たりするものだけど
悲しみは待っててもやって来なかったよ。
こちらから探しに行ってもなかったよ。
って言ってるように見えます☺️
これが児童書なんですか!??
生きていると、3DSのカセットが当たったから3DS本体を買うみたいな、なんか逆だよね~ってことが、たまにあるって話だよ~
って、私が子どもに聞かれたらとっさに答えると思います😅
なんかの有名な心理学者が人は楽しいから笑うんじゃなくて笑うから楽しいのだみたいな、行動によって感情が産まれるのではなく感情で行動が生まれる説を思い出しました。
あまりに好きすぎて、このような短編タイプの寺山修司さんの作品が載った本があれば知りたいです。
知ってる方お願いいたします。
コメント欄お借りしてすみません!
この"生まれた年"は、作品名検索しても出てこないのは何故でしょう…他にこちらが収録された本はないのかな
すべて結果と理由が、手段と目的が逆になっています。
寺山はジェームズ・ランゲの「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という言葉をよく引用しており、そこからインスパイアされた詩だと思います。
先見の目がある。それはつまり経験
する環境があるからするんじゃなくて、したいからする。
夢ならばどれほどよかったでしょう。にならないように振り回されずに自分を持って進んでください!!!
人生は心から望んだもの程なかなか手に入らない、だから人は長い一生を流れに呑まれながら自分の望みが少しでも叶うように生きるんだ、ということだと捉えました…「かなしみ」は「良いことも悪いことも」の比喩に感じます
人生の殆どの事は自分の意思とは裏腹にあべこべでも物事は進んでいく
知らぬ間に歳をとって年齢に相応しい様に老けたフリもする
なのに死ぬ事だけは決まっている
が、決まっているのにいつかはわからない
死ぬ事が悲しくなるように生きている理由を探すのが人生なのかも…
と僕は読みました
すごーく簡単に言うなら人生やりなおしはきくし望んだ通りのことはおこらないってことなのかなあって思った
原因と結果がいつも1:1じゃない。見えてないだけで、原因と結果が反対や繋がってない時もある。あべこべだなと感じるかもしれないが、大人になると無意識にそのあべこべな考えを持つこともある。
〇〇だからできない、のではなく、本当はできない理由をさがしたら〇〇だったという言い訳なのかもね。
あなたの今日一日、もしくはこの一年を録画していたとして、巻き戻し再生をしたらどんな感じになるでしょうか。
今日食べたものは、あなたが食べたくて口にしたものですか? それとも誰かに用意されて、それを当然の様に食べていただけですか?
お風呂はどうでしょう?
人生の行き着く末は必ず死。
人は死ぬために生きるのか、という不条理を日常の些細なことひとつひとつに落とし込んで、手触り感を持って想像しようとしている。
そのように感じました。
考えさせられる、深い、などと言う言葉で済ませられない詩が出てきましたね。
「生れた年」という、題は非常に児童向けな雰囲気のするものですが、一度読み始めるとその難しさに首を捻ってしまいそうです。
子供に意味を問われた時、どう答えるのが正解なのでしょうか?わかりやすく説明してあげたいけれど難しいですね。
悲しみのありかを見つけるための旅なんて、ちょっと悲しすぎますね。
自分で多くのことを考えて生きないと、こうなるのだよと言う話なのかもしれません…。
何度も読みたくなる詩です。
もしかすると、子供たちの方が素直な感想を持つのかもしれません。