孤高と孤独!お店の常連 と常連と思われたい人 との違いが深い。
飲食店等でよく聞かれる『常連さん』という言葉。頻繁に来店する人、いつもそこに顔を出す人、などの意で使われますが、投稿者さんが紹介した、常連、と常連と思われたい人、との違いがとても深く考えさせられます。
常連さんとはなろうとして一朝一夕になれるものではないんですよね。

いつもありがとうございますと言われた瞬間に二度と行きたくなくなるのはゎたしだけ?

常連さんはカフェ
常連と思われたい人はコンビニ

あまり店員が、ウダウダ話しかけてくるようになると、その店には行かない

あ~、わかるなぁ😅

これはアイドルや小劇場での演者とファンの関係にも通ずると感じました。
私も気をつけようと思いました。

素敵、座敷わらしみたいですね!

おばあちゃんが言っていた。
常連は、決して自分を『常連』だと名乗らない。
店の人は内緒で真の常連に心づくしの酒食を振舞う。
似非常連の割りを食わせないように、と。

これアーティストのファンにも通ずるところありますね。

なかなか深いですな
いつもいってる場所だからこそマナーをわきまえて気持ちよく
他の人の気を使ってほどよい間合いが作れるのはかっこいいですよね
常連の人が「好きだからこそ」という精神だったらなおいいんじゃないかと思います

個人的には「常連は常連を自称しない」
「常連と思われたい人は常連を自称する」
って感じがしてますね

フレンドリーな人と馴れ馴れしい人の違いとも言えますね。

飲食店に限らず、人間関係の基本ですね。

そうやって人を二つに分けて決めてかかるのはあまりうれしくない。気を付けていても排除される側に分けられることだってある。しかし好ましからざる人を好ましく導く人を見たことがないのはなぜだろう。

ハハハ…
自分にも思い当たる節があるので、行動を振り替える、よいきっかけになりました。

孤高と、孤独。
肝に命じます

自分が店員さんと話しているときに、
横からのしかかるように会話に乗り込んできて、しかも自慢を永遠とされたことはありますね。
(その客退店してから店員さんから謝られてたけどなんか申し訳ない)
いわゆる、会話の割り込み乗車とでも言いますかね?
投稿を読んで、なるほどなぁ…とうなずけるところがたくさんありました。
例えば、飲食店で『常連さんにしか出さない裏メニューがある!』と聞くと、なんとか自分も早く常連の仲間入りをしたい!と思う人もいると思います。頻繁にお店をおとずれるだけではなく、店員さんと仲良くなろうと必要以上に話しかけたり、馴れ馴れしくしていたりしないでしょうか。
店員さんが忙しくしているのもおかまいなし、他のお お客さんの迷惑になっているのもおかまいなし、自分のことしか考えずに行動していると『常連』にはなれませんね。いつまでたっても『常連に思われたい人』止まりということです。
本当にそのお店やその味が好きならば、店員さんや他のお客さんにも自然と気配りができるものではないでしょうか。
孤独な独りよがりのお客さんより、
この店が好き!この味が好き!という自分の美学を貫く良いお客さんをめざしていきたいものですね。