永く愛されてきたガチョウが亡くなったので…剥製にして展示する子供の楽園!
京都にある、子どもの楽園に掲示されていたお知らせについての画像ツイートです。永く愛されて、1月9日に亡くなってしまったガチョウが、剥製になって帰ってきました!というお知らせなのですが、生前、ガチョウと一緒に遊んだ思い出のある人からすると、剥製と対面するときの気持ちはどのようなものか気になってしまいます。
剥製
ガチョウへの反応

環境学習に役立てる為に剥製標本にしたようなので、普通に事務的な文章でそう案内した方が、学術的とか教育目的な意図が伝わった気がする。
親愛を感じていた子供たちへの、分かりやすいメッセージにしたかった のであれば、お墓や慰霊碑の案内であった方が、腑に落ちる結末だったような気がする。

ポップな言葉では隠しきれない畜生への情け無用感

大学のゼミの先輩がロードキルされた動物とか貰ってきては剥製や骨格標本作りまくっててうちのゼミだけサイコパス集団にされてたの思い出した

会いに来てねじゃないよ。

人間!てかんじ

宝ヶ池!

そこはかとなく”闇”を感じます…😧

剥製って人間のエゴできた恐ろしいモノ

お墓とか慰霊碑で良かったのでは…

ハチ公やジロを剥製として展示してることにくらべたら

<<剥製>>

例え亡くなってもその身を傍に残しておきたいという強い愛情がひしひしと伝わってくる。
これを叩くような頭の固い奴らはことごとく無視すべき

ネクロマンサーかな?

HUNTER×HUNTERのカイトじゃん…!!

剥製って字面まぁまぁきついのに強調するからもっときつい

純粋無垢な子どもは喜ぶだろうね
僕は純粋無垢ではあるけど、微妙な気持ち
子どもの楽園に掲示されていた、お知らせについての画像ツイートでした。
そのお知らせには、永く愛されたガチョウが亡くなったので、剥製となって事務所に帰ってきているということが書かれています。
生前の元気なガチョウが記憶にある人に対してのお知らせかと思いますが、そのガチョウの剥製を見る時の気持ちはどのようなものなのでしょうか…。
リプ欄には、ちょっと微妙な気分…、う~ん…、なんとなくサイコ…、という反応が寄せられていました。それでもきっと剥製にしてよかった!と、だれもが思う日が来て欲しいなと思いました。