無邪気に両手を広げている子ども達、自分たちが「だし」に使われているという不快感は無いようですが、見ていて何だか「だし」に使われて可哀想という気分になります。子どもは昆布でも鰹節でもないと言いたくなります。
この子達が大きくなって、この画像を見たときにどう感じるか、やらされたと感じなければいいなと思います。

それとも和食は「だし」が命というくらい大切ですから、子どもは「だし」のように大切と受け止めればいいのでしょうか?

人文字はやらされるものではなく、自分から喜んですることで成功する気がします。